ナル研!私立はぴるん学園☆NARUTO研究部

同人サークル「私立はぴるん学園」産のスターダスト☆NARUTO研究部のゆむのんです

「逆だったかもしれねぇ」徹底考察!なぜあえて千鳥vs螺旋丸なのか?技だけでなく利き腕も入れ替わっている理由とは!?サスケが本当にナルトに言ってもらいたかった驚愕の言葉とは?

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◇せーの、はぴるん◇
こんにちは。同人サークル「私立はぴるん学園」のゆむのんです。

今回は、JC52巻(それぞれの第7班...)収録の内容485話「近く…遠く…」について、この画像1枚から読み取れる多くの情報について解説していきたいと思います。

この画像は1枚にNARUTO好きならば何個解釈が生まれてもいいくらいに情報量や溢れてくる感情がとても多い1枚です。

僕はサスケが好きなので主にサスケ視点での考察がメインとなります。

考察内容としては、

・千鳥でナルトに勝つ気があったのか?

・サスケはナルトに本当に「逆だったかもしれねぇ」と言って欲しかったのか?

・ナルトは右利き、サスケは左利きなのに螺旋丸・千鳥が入れ替わった時にそれぞれの利き腕までもが入れ替わっている理由とは?

以上の3件について僕なりの解釈をお話しさせていただきます!

 

①千鳥でナルトに勝つ気があったのか?そもそもなぜあえて千鳥なのか?

まず前提としてこの当時のサスケの状況を整理すると、「イタチの真実を知る」→「鷹を組織する」→「兄さん、まずは一人目だ(手始めにダンゾウを殺害)」(←今ここ)→「木の葉の(イタチの真実を)何も知らないで笑っている連中を全員殺す・木の葉を潰す」

という順序で行動している状況にあります。

もっと詳しく状況を整理すると、ダンゾウ殺害後自分を追跡してきたサクラ・カカシ・そしてそれを探知して追いついてきたナルトと対峙している場面になりますね。

五影会談でエー・我愛羅と戦い、その後追い詰めたダンゾウに継続的にイザナギを使用させるため須佐之で攻撃し続け、残っているチャクラは残りわずか、そんな中カカシとの連戦、更にはナルトをも相手にしなければならないと、随所で香憐の回復があったとはいえセーブポイント無しのボスラッシュをさせられているような難易度です。

さて、問題となるこの画像ですが、ナルトの螺旋丸に対し、サスケは千鳥で応戦します。ここで僕は気にかかる点がありました。それは、事前にサスケはナルトがペインを倒している、そしてそれを根拠としてゼツに「いま戦ったら(ナルトは)君より強いかもね」という情報を与えられていることです。以前(1部イタチ襲撃時)、自分の千鳥の威力はナルトの螺旋丸の威力に及ばなかった苦い経験のあるサスケからしてみれば、真正面から螺旋丸で向かってくるナルトに対し、千鳥千本や千鳥流しならまだしもわざわざ威力負けする可能性のある素の千鳥で対抗することは得策とはいえません。この後に控える木の葉壊滅という目的を達成するためにはここでナルトは始末、とまでは行かなくてもこの場は五体満足で生き延び、致命傷は絶対受けてはならない局面です。ならばここは多少チャクラが空になるという無理を冒してでも接触する危険性のない天照で攻撃するのが勝つための正常な判断だと思います。

また、そもそも千鳥という技はカカシから教わった術で、中忍試験で我愛羅やその他の強敵に対抗するため、という名目で修業をつけてもらい習得した技です(サスケとカカシ・千鳥と雷切の関係性についてはまたの機会に詳しくお話しするつもりです)。当時とは大きく異なってしまった自分の立場で、かつての師であるカカシが見ている前で彼から教わった千鳥を放つっていうのは(イベント展開のご都合主義というのは置いといて)なんだか恰好がつきませんよね。

天照には火力や安全面で劣り、螺旋丸に確実に勝てる可能性が薄い・自分のメンツもたたない、以上の2点から「なぜここであえて千鳥で対抗する選択をしたのか」という疑問が浮かびます。

僕なりの解釈は、「ナルトに負けたかった」からだと思います。

なぜかというと、サスケの目的は時系列順にすると、「自分の家族・一族を殺されたことに対するイタチへの復讐」→「イタチの真実を知る」→「その選択を強いたダンゾウ・および木の葉上層部へと復讐の対象が変化する」と、一貫して自分の家族・一族を辛い目に合わせた原因へ自分の怒りをぶつけることです。それが「何も知らないでヘラヘラ笑っている木の葉の住民も同罪」と、そこまで憎しみの対象が増長するのはちょっと無理があると思うし、実際そこまでサスケも木の葉の住民全員に対して恨んでいたりはしなかったと思います。

それならば、ダンゾウを殺した時点でヒルゼンも亡き今、サスケの目的自体は大意でいえば達成されたのではないでしょうか?

一族のみに関する問題への復讐という点で言えば、それが達成された瞬間の今となっては、今後生きていく理由が見つけられなかったり、そもそも現在の立場となっては生きていても一生その身をテロリストとして追われる存在となってしまいます。

だから今後も生きていく理由としてとりあえず、それ自体が正解ではないと心の中では分かっていつつも「何も知らないでヘラヘラ笑っている木の葉の住民も同罪」と、いわば生きていく理由をつけていたのだと思います。マダラに唆されているかわいそうな僕演出でどこか許される拠り所を作っている、サスケはそんな、どこか僕たちにも共感できる雰囲気があるような人間臭いところのあるキャラクターです(まぁサスケ自身はそんな共感望んでませんけど…)。

 サスケには「復讐という自分のゴールにどこで折り合いをつけるべきなのか」と、考える時間があればよかったのですが、その暇もないまま、「サスケに会えば答がわかる気がする」という理由でサスケに会いに来たナルトと対峙することになってしまいます。

 今後絶対木の葉壊滅を画策するという目的を継続するなら天照で確実にナルトを仕留める策を撃つはず、しかし自分の目的がすでに達成されているとするのならばこれ以上戦う理由がないナルトに対して無抵抗・或いはマダラのいるところまで逃げて自空間忍術で退散する。

目的が達成されているか否かによって強力な行動の選択肢はこの2つのみに絞れると思うのですが、結局どっちつかずの状態で選んだ選択肢が「(ナルトに負ける可能性を含んでいる)千鳥で応戦する」。これが「ナルトに負けたかった」(勝つために撃った千鳥ではなく、あくまで戦いの中でナルトに圧倒されるため)もっと言うと、「ナルトに自分を裁いてほしかった」という根拠です。ナルトに負けたかった理由としては、「ナルトに殺されて今後間違った(闇へ向かう)道を進んでいくであろう自分の人生をここで終わりにして欲しかった」のだと思います。JC72巻でもナルトに倒され死後はカカシに自身の輪廻眼を移植するのを望んでいたことからも、ナルトに(ナルトじゃなくても自分より強い相手なら誰でもいいのでしょうが)殺されてでも自分を止めて欲しい願望があり、それがこの頃から最後まで一貫していますね。

長く考えても分からなかったから答えを求めるナルトと、答えはすでに出ているが考える時間が必要だったサスケ、逆だったかもしれねぇのはお互いの答えに行きつくまでのプロセスだったとも言えますね。

 

②サスケは本当にナルトに「逆だったかもしれねぇ」と言われたかったのか?本当に言われたかった言葉とは?

 ①で説明したとおり、サスケが本心で望んでいるのは「自身の罪をナルトに裁いてもらい、自らに終止符を撃つ」ということです。JC24巻「はじめっから一人きりだったてめーに俺の何がわかるってんだ」と言っていますが、これは「お前なんかに俺の気持ちが分かってたまるか」と他者とのつながりを断ち切ることが己の道と信じていた頃から考えはブレていないといえます。「誰からも理解されないまま自分の理想を果たすか、他の誰かの復讐の対象となった自分が殺される、の二択」に選択肢が増え、それが世界の真理であると疑っていません。

そんな彼は、サスケ同様にイタチの真実を知ったナルトから「お前のやっていることは分かるってばよ」「もしかしたらお前と俺が逆だったかもしれねぇ」、と共感されることを望んでいるでしょうか?僕はそうは思いません。これはサスケ自身がイタチから受け継いだ「一人で背負い込む→自分と同じ苦しみを負うことになる共犯者を増やさない」という、無言の愛情表現からくるものだと思います。(サスケの愛情表現についてはまた別の記事にて考察します)。自分の信じる世界の真理・イタチから受け継いだ愛情表現(今のサスケにとってはイタチが世界のすべてです)と真っ向から相反するナルトに対し、「お前は一体何なんだ!?(なんで俺の気持ちがいまだに何もわかってねぇんだ!?)」「なんで俺にそこまでする!?(そこまでするのになんで俺の言って欲しい言葉を言ってくれない!?)」というセリフが出るのも当然だといえます。

以上から、当時のサスケが本当にナルトに言って欲しかった言葉は(ニュアンスとしては)「おまえのやっていることは一つも共感できないし、ただの犯罪だと思う。なるべくこの世にお前を含めてうちは一族が生きた痕跡が残らないような形でお前を裁き(=殺し)、それで罪を清算してもらう」だと思います。サスケ自身も木の葉の全員を殺すことでうちはの記憶を抹消する、と言っていたので自分の手によるものではなくても、記憶を消すというそれ自体を叶えたいのは本心でしょう。もう自分は後には戻れない、だから引き留めてもらう手段は自分を殺してもらうことしかない、など、極端でいろんな感情がぐちゃまぜになって、狭まった視野で悩みながら動いていた当時のサスケが僕は本当に人間味を感じれて大好きなキャラです。誰かに言われた道を歩むほど子供ではない・しかし自分の罪の責任を背負うほど大人ではない…そんな等身大の葛藤が伝わってきます。その後彼の目的は「イタチの生きざまを受け継ぎ、誰からも理解されないまま罪の責任を背負い、本当の一人の独裁者として新たな忍世界の闇と平和を安定させる」にまで昇華するのですがその視野に至るまでの紆余曲折については追々...。

 

③ナルトは右利き、サスケは左利きなのに螺旋丸・千鳥が入れ替わった時にそれぞれの利き腕までもが入れ替わっている理由

ナルトは利き腕が右腕なので、右腕で螺旋丸

それに対しサスケは左利き(六道仙人から利き腕を出せ、と言われたときに左腕を出していたことで判明)なので、左腕で千鳥

を、それぞれの定番忍術としています。

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しかし、この入れ替わった画像では利き腕(転生者までもが入れ替わっている影響のため?)までもが反転し、サスケが右利き、ナルトが左利きとなっています。

 「逆」という言葉はどこまでを含んだ言葉なのでしょうか?

それを考察する前に、どうしてお互いの効き手が逆なのか。ということを解説します。

利き手、すなわち相手と相対するときに差し出す腕が反対であることが必要な理由とは一体何でしょうか。

それは「握手をするため」「並んだときに手を繋げるようにするため」などいろいろありますが、一番有力なのは「和解の印を結ぶため」です。

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この「和解」はナルトとサスケの和解を表しているように見えるのですが、よく背景を見てみると「マダラ」と「柱間」の石像も手を繋いで(いるように見え)、その上に二人が立っています。もしお互いの効き手が同じだったらこの演出をするには崩れた石造の位置が不自然な配置になってしまいますよね。

色々な理由はあると思いますが、ナルトとサスケの利き腕が逆であるほうが演出上無理がない、とのことで彼らの利き腕は逆なのだと僕は思います。

本題に戻りますが、「逆だったかもしれねぇ」、それはどこまでが逆なのか、についてです。

ナルトは九尾を宿した状態での闇落ち、と読み取れるので、ここでの「逆」という言葉は転生者まで含めての「逆」ではなく、あくまで生い立ちは本編と同じで、育った環境(師匠や境遇)が「逆」だったら、と定義します。

生い立ちや転生者が正常であるのに写輪眼を開眼したインドラの転生者であるサスケの利き腕が右(インドラの能力を継承できない)ということはあり得るのでしょうか?

それはありえないと思います。

だから「逆だったかもしれねぇ」の画像で利き腕までもが逆になっているのは、たとえ境遇が違っていても絶対起こりうることではないと思います。

もしも螺旋丸は右腕・千鳥は左腕でしか発動できない。という条件があるなら話は別になってしまいますが、カカシは主に右腕、自来也は両腕で螺旋丸を発動できるためそのような制約はないものと思います。

以上のことから「逆だったかもしれねぇ」はたとえifの世界だとしても転生・生い立ちが本編通りであるなら絶対にありえることはない現象だと言えます。そのことからこれは公式で明確に否定されている、ナルトの完全なる妄想・夢物語にすぎないものです。

もしも正史としてナルトが闇落ちしてそれを木の葉に留まったサスケが止める展開になったとしても利き腕が入れ替わることはないでしょう。

以上が利き腕が反転した理由は、不完全かつ絶対にありえない妄想ゆえに利き腕がナルトの都合のいいように改竄されているから、です。

 絶対にありえない妄想なのでその内容はサスケとナルトが共闘するような妄想でも別によかったのではないか…(例えばダブルアーツのように手を繋ぎながら戦ったり、とか)と思ってしまいますが、あくまで戦いの中でサスケと分かり合いたいのがナルトらしいですね。

 

 ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

ナル研!私立はぴるん学園☆NARUTO研究部では今後も引き続きNARUTOの考察を続けていきたいと思います。

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◇以上!私立はぴるん学園産のスターダスト☆NARUTO研究部のゆむのんでした!

それではっ!今日も元気にひかるんるん♪◇